1924年 1937年 国共合作(24年第一次、37年第二次)【超重要】
ゴロあわせ
「国境がさあ、西(24)へ南(37)へ伸びてゆく」
補足
国境がさあ→国共合作
イメージ
アメリカ合衆国が国土を広げていく様子
国境合作ざっくりいうと、、、すいませんちょっと長いです
一言でいうと「中国版、薩長同盟」みたいな感じですね。
まず、これまでの流れをさらっておきましょう
1912年 清が滅亡するが、清の軍人だった軍閥派の袁世凱が独裁体制築き、革命派を弾圧する
1919年 第一次大戦後のベルサイユ条約をめぐり反帝国運動が激化
当時の中国の三大勢力は以下の通りです
①「軍閥」袁世凱の後を継いだ中華民国政府 列強がバックアップしてます
②「国民党」革命派(金持ち層) リーダーは孫文、のちに蒋介石 アメリカ・イギリスのような資本主義を目指してます
③「共産党」革命派(農民・労働者層) リーダーは陳独秀、のちに毛沢東 ソ連のような社会主義を目指してます
ここで登場するのはミスター革命の孫文です。辛亥革命に続き再登板です。孫文はロシアに行きロシア革命を目の当たりにし、衝撃を受けました。
「革命には農民・労働者の力も借りなければムリだわ!協力しよう!」
ということで協力しようということになったのが1924年の第一次国共合作です。
構図は「国民党」+「共産党」vs「軍閥」となりました。以後、軍閥を倒しに北へ軍をすすめます(北伐)。
しかし、1925年に孫文が革命半ばで死去してしまいます。
孫文の後を継いだ蒋介石は、なんと、「共産党が台頭すると国民党の支持基盤の金持ち層が危うくなる、よし今のうちに潰しとくか」といって突然共産党を弾圧しはじめます(1927年上海クーデター)。
ここでは合作終了します。
その後、蒋介石は軍閥を次々に倒してゆき、最後、東北地方を治めていた軍閥の張学良が国民政府への統合を認め、1928年に中国を統一します。
「軍閥」が消滅したので構図は、「国民党」vs「共産党」となります。
一方、共産党は拠点を移しながら、毛沢東をリーダーに農村の支持を得ながら国民政府への抵抗運動を続けていきます。
このころ日本が満州国を設立(1932年)するなど中国への圧力を高めていきます。
共産党は国民党と協力して日本と戦うよう主張(1935年八・一宣言)しますが、蒋介石は共産党との戦いを優先させています。ここで国民政府内部でとんでもないことをする人が現れます。
旧軍閥の張学良です。張学良は共産党を倒してこいと蒋介石言われて軍を率いますが、なんとその軍で蒋介石を拉致します(1936年西安事件)「いい加減にしろコラ!共産党と一緒に日本と戦わんかったらコロス!」と合作を迫ります。
その後、1937年の日中戦争を機に共産党と国民党は力を合わせることになりました。
これが第二次国共合作です。
ここで坂本龍馬的な働きをしたのは張学良ですね。